浮気の定義が決まっていたら~もっと心が楽になるのに!?

世間の人は何を以てして、浮気とみなすのだろうか?メールにハートマーク、二人で食事。それすら嫌だという人もいるだろう。
昔、血液型別に見る浮気がばれた時の反応、というのを聞いた事がある。何も証拠がないのにすぐに謝るタイプと、ベッドインの現場をおさえられても言い訳をして認めないタイプ等、さまざまで面白い。

私も実は生まれて初めて付き合った彼が、前の彼女とキッパリ終わっていない事を知り、辛い思いをした覚えがある。この場合はどっちが浮気相手になるのだろうか?今思えばこの時からである。付き合う相手を100パーセント信じられなくなってしまった。と、同時に自分に自信が持てなくなる。

一歩外に出れば、イケメンやダイナマイトバディの女性が有象無象している。ましてや芸能人のみならず、一般人も手軽に美容整形をする昨今、自分など敵うわけがない。ある意味、自分の外見を気にして他人の目を気にして身だしなみを整える事は、浮気という銃の引き金に指をかけているとも言えないだろうか?

男も女も、どちらにも当てはまらず別の言い方をする人達も、自由恋愛の時代である。日本ではだいぶ昔に、お隣の韓国でも2014年に姦通罪が法律から外されて浮気が増えたと聞いている。

これは極論だが、自分と一緒にいない時間は基本浮気をしていると言えるのではないだろうか?

一緒に暮らしていても、離れている時間はお互い自由である。ましてや遠距離恋愛などをしていたら、何をどう信じたらよいのやら?分からなくなるときがある。

何故浮気をするのだろうか?今のパートナーに満足していないから?たまたま喧嘩をしていた時に、魔が差して別の人と。自分にはもっと良い相手が見つかるはずだという思いから。はたまた仕返し等、多くの友人から浮気の体験談を聞いた事がある。

今一歩踏み込めない自分にはある意味羨ましかったりもするのである。中には、夫以外に複数の男性と上手に遊んでいる友人もいて、あっぱれである。彼女たちは、それはそれで理由があって、心の隙間を埋めているのである。きっと男性の浮気も同じだろう。皆それぞれに言い訳があるのである。

では、別の見方をして浮気をされている人の気持ちはどうだろうか?なんか怪しい、それだけでは浮気を問い詰められない。こういう状態で平常心を保つのは難しい。かなりのストレスである。興信所に高額を注ぎ込んで徹底的に調べ、ぐうの音も出ない証拠を叩きつければ、さぞや気持ち良いだろう。

こうなると、もはや愛情の微塵もない。確固たる証拠を掴んで相手が認めたら、果たして許せるだろうか?知ってしまった以上は許す訳にはいかないだろう。知りたくない気持ちもある。知らぬが仏とは良く言ったものだ。いっそ、絶対に納得をするような大嘘をついて騙してくれ、とも思う。

一番幸せなのは、気づかない馬鹿である。なんともお気楽である。昔誰かの言葉で、人類皆兄弟、というのがあった。勿論、複数の異性と交わる事を良しとした言葉ではないが、ざっくりと大きな心で受け止められる人は心を病まなくて済むのかも知れない。

自分の中で、どこからが浮気なのか?その線引きは難しいと思う。人によっても違うだろう。私のように猜疑心が強く、相手を好きになればなるほど嫉妬心が強くなるタイプはむしろ恋愛にはむいていないのかもしれない。

これをしたら浮気とみなす、という定義を誰かが決めてくれたら、心が楽になると思う。それぞれのカップルでルールを決めれば良いのかもしれないが、それはそれで若干興ざめする。愛する事は信じる事、と映画の台詞にあったような気がするが、まさにその通りである。相手を信じられなくなったら、そこには愛はないのだろう。

たとえ浮気をしても、されても、どんな現実を突きつけられても、愛しているというぶれない心を持てたら、どんなに幸せだろう。